2013年5月21日 / 最終更新日時 : 2024年9月4日 ryu_admin こううんりゅう 高雲流 大正10年、椋神社の御改造が終わり、翌年には盛大に秋祭りが行われました。この御祭り(社殿運営祝賀大祭)に高雲流の産みの親となる室久保貞六という人が10本の龍勢を奉納し、番外として五寸の龍勢を作りました。この五寸の龍勢は、轟音と共に、打ち上げ櫓を震わせながら秋空高く舞い上がり、唐傘をいっぱい放し、見事な成功を収めました。当時の椋神社宮司が、その技能を称賛し、『高雲流』の称号を命名したと言います。この技は現在の高雲流(阿熊龍勢保存会)に受け継がれております。