高雲流

大正10年、椋神社の御改造が終わり、翌年には盛大に秋祭りが行われました。
この御祭り(社殿運営祝賀大祭)に高雲流の産みの親となる室久保貞六という人が10本の龍勢を奉納し、番外として五寸の龍勢を作りました。
この五寸の龍勢は、轟音と共に、打ち上げ櫓を震わせながら秋空高く舞い上がり、唐傘をいっぱい放し、見事な成功を収めました。
当時の椋神社宮司が、その技能を称賛し、『高雲流』の称号を命名したと言います。
この技は現在の高雲流(阿熊龍勢保存会)に受け継がれております。

こううんびりゅう

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